これからの「正義」の話をしよう|やっとのことで読んだ

英検1級

ハーバート大学で大人気だった授業内容をベースに、マイケルサンデルさんが書いた「正義」をめぐる思慮の旅。10年前に出版されとても人気になった。発売当初に買ったものの、半分ぐらいまで読んで断念してずっと放置していた。その間何度も「読まなきゃ読まなきゃ」と思いつつ、結局読んでなかった。

今回重い腰を上げてようやく読んだきっかけは英検1級の二次試験対策のため。

「社会は平等にできるか」「裕福な国は貧しい国を助けるべきか」「民主主義を世界に広げるべきか」「競争と協力どちらが大事か」

こういう難しいテーマに関する意見と、その根拠を述べるスピーチが求められる。対策本にはたくさん「模範解答」が載っているが、色々な意見の断片を集めているためかちぐはぐで腑に落ちず、モヤモヤしてしまう。これでは本番に自分の声で話す自信もないし、スピーチの後の質疑応答でボロが出てしまいそう。面接で聞かれる難しい問題に関してもっと知識を深めて自分の意見を持っておきたいと思ってこの本を読み直すことにした。

結果、私が取り入れるにはレベルが高すぎる内容だった。とっても難解で、読むのに丸2日かかって、それでも理解できた自信がない。使われてる単語が難しく(「瑕疵がある」とか「恣意的」とか)、分節が入り組んでいて著者の言いたいことがイメージしづらい。この内容をそのまま英語のスピーチに取り入れるのは難しい。だけど、同じテーマに対して色んな視点に立ってあれこれ違う意見が書いてあり、ディベート的な思考のお手本にはなった。冒頭で取り上げられたハリケーン時に生活必需品の物価が不当に上昇した問題は、今の日本人が経験しているマスク価格高騰と同じ状況で心に迫るものがあった。

この本を易しい言葉やイラストで要約してくれているサイトがいくつかあるので、こちらのほうもしっかり読もうと思う。
『これから「正義」の話をしよう』をイラストで理解しよう!〜イラストNo.58
これからの「正義」の話をしよう 目次

以下自分なりの要約です。見当違いな部分もあるかもしれない。

正義のアプローチは3つ

  • 幸福
  • 自由
  • 道徳

幸福

ベンサム、ミルの功利主義。最大多数の最大幸福。
ベンサム:全体の効用を最大化する。快楽に質は関係ない。欠点:品位と敬意を侵害することがある。
ミル:効用に質があることを認める。満足な豚より不満足なソクラテス

自由その1 リバタリアン

私の体や財産は私のもの。自分の好きに使っていい。国がお金を取り上げて貧しい人にあげるというのは盗みだ。

自由その2 リベラル

カント&ジョンロールズ。平等、市民的自由、社会保障
カント:人間の理性、尊厳、人格。人格を究極目的として扱う。動機が大事。同じ善行をするにも「自分がそうされたいから。好かれたいから。」という外的な理由はだめ。「それが正しいことだから」という理由だけ認める。正しさは善に優先する。
ジョンロールズ:全員が無知のベールに包まれて集まったとき(原初状態)に、一致する意見が社会契約。おのずと社会で最も不遇な人(貧困者、障害者など?)の境遇が改善される自由で平等で道徳的な社会となるだろう。
二人とも、具体的に何が正しいのかは言及しない。というか、できない?特定の道徳を押し付けるのは自由ではない。

道徳

アリストテレス:正義は目的と名誉にかかわる。モノ、コトが目的を持って存在している(「笛は上手な奏者に吹かれるために存在している」など)という考え方は擬人化的、メルヘンチックで古代では優勢だった)
政治の目的:善い市民、善い人格を育てる
善い人格は善い習慣を繰り返し実践していくことで育てられる。
人間は都市国家で政治的共同体に参加してはじめて本質を発揮する。

コミュタリアン

我々は物語の一部で、位置ある自己。正義は目的や愛着の考慮なしに論じることができない。愛国心、誇り、恥、家族の結びつきなどは自己から切り離せない。よって、自分の遠い祖先が行った歴史上の過ち(ナチス、奴隷制、慰安婦など)を現代人は謝罪し補償する義務がある。

作者の意見

この本は10章で構成されており、ほとんどは著名人物による思想の解説とその欠陥の指摘。具体的な事例への応用で占められている。作者自身の意見は9章と10章のほんの一部だけ。

1. 助け合おう。思いやろう。

ボランティアとかやって絆が深まるよ。

2. どこまでお金で解決できるか話し合おう

兵役、出産、教育と学習、刑務所、市民権など。すべてお金で売買できるものではないよね。さまざまな価値観が対立するだろうけど、境界線についてみんなで議論することは必要だ。

3. 税金でイケてる公共施設を作ってみんな集まろう

お金持ちとそれ以外が違う空間で生活していると分裂が広まってしまう。多様な人々が学校、交通機関、レクリエーション施設などに集うように、施設を充実させて交流を持てるようにしよう。

4. お互い尊重し合いながら「道徳」を語り合おう

多元性の社会で道徳や宗教に関する意見が一致しないのはしょうがない。それでも避けずに意見を交わして「共通善」「同意」を目指そう。難しいかもしれないけど、希望はあるよ!

本書で議論されている具体的な事例

ハリケーン後の物価上昇

氷、ガソリン、ホテル代などあらゆる必需品の値段が跳ね上がり、困窮している住民をさらに苦しめ外部・内部の反感を買った。一方で、需要と供給に合わせて物価が変動するのは自然だ。売り手が価格を決めて何が悪い。価格があがることで供給源が増えるから良い。という意見もある。しかし、困窮した状態の市民はその価格に自発的に同意しているわけではなく、そうせざるをえない状態なので本当に公正とはいえないのでは。

大手企業の投資失敗と政府の救済とボーナス

保険会社AIGなどが経営に失敗し多額な負債を抱えたが、倒産すると国の経済全体がヤバいので税金を投じて救済した。その後幹部に多額のボーナスが与えられたことに国民怒り。不平等でなく「失敗」に対して許せないのでは。ところで投資の失敗は彼らの能力不足が原因なのか。時代の流れのなかでどうすることもできなかったなのでは。もっと言えば彼らの過去の成功も彼らが優秀だからではなく、インターネットの普及やグローバル化の恩恵に預かっていただけではないか。

パープルハート勲章

戦争で負傷したアメリカ兵に対して送られる。PTSDは受賞の条件として認めないという根強い反発がある。PTSDになるのは心が弱いせいだという考え方が根本にあるのでは。

暴走列車と作業員

暴走列車の運転手 このままでは先にいる5人が死ぬ。違うレールに逸れれば1人が死ぬ。もしくは、橋の上にいる無関係の太った男一人を落とせば列車は止まる。最大多数の最大幸福を考えれば、1人を犠牲にすればよいことは明らかなのになぜ迷いが生じるのか。

車の制限速度

車の制限速度をあと少しだけ落とせば、ほぼ確実に交通事故の死者数が減る。しかしその法律は採用されない。道路を速く走ることによって節約できる時間が命の価値を上回っていることに、国民は無意識に同意している。命をお金で測れるのか。

腎臓売買、自殺幇助、カニバリズム

自分の体は自分のものなら、腎臓をだれかに売ってもいい。自分がそうしたいなら、子供のために2つめの腎臓を提供してもいいのでは。(透析したら生きていけるかもしれんけど)お互いが同意しているのなら医師の自殺幇助も、二人の同意の上で誰かが人を殺し人肉を食べることも自由ではないか。

マイケルジョーダンの才能と報酬

マイケルジョーダンはバスケがめちゃうまい。彼を見たくて客がお金を払って集まるから、ジョーダンはめちゃ稼ぐ。そのお金に課税するのは彼の物を盗んでいることになるのか。ロールズの考え:彼がたまたまバスケの能力が称賛される時代に、才能を持って生まれたのは彼の手柄ではない。努力ですら才能だ。他の選手は努力していないのか?彼と同じ練習時間を積んでも彼のようになれないではないか。才能を思う存分発揮して利益を産むのは素晴らしいことだが、その恩恵は社会の最貧層に分配されるべきだ。

アファーマティブアクション(大学入試)

ある白人の学生は家が貧乏だったが努力し、優秀な成績をおさめたのに大学(法学部)の「人種多様性を確保する」入試ルールによって不合格となった。学力が同レベルの有色人種は合格した。これは不当な人種差別か? かつては有色人種が差別されて大学に入れなかったが、これは正しいのか。いや、「憎悪、嫌悪」による入学拒否と、アファーマティブアクションは性質が違う。
大学の言い分:本地域の法律業界で働くメンバーの人種多様性を確保するのは健全な社会に必要だから、このルールは正当だ。
そもそも大学の入学基準は大学側が決めていいのではないか。テストの点数だけではなく、面接とか社会奉仕とかいろいろと加味されるのに異論はない。大学の目指す機能は、学問を高めていくとか、社会に貢献する人材を作るとか、色々とある。時には利益をあげることも必要だ。それでも「完全に自由に」目的を設定して言い訳ではない。営利だけを目標にしたら反発されるだろう。大学には大学らしい目標が求められている。それは大学がもつ「美徳」について人々が何かしらの考えをもっているからではないか。

車椅子のチアリーダー

体に障害があるためジャンプもバク転もできないが、車椅子に乗って一生懸命ポンポンを持って笑顔を振りまき、みんなに元気を与えるチアリーダーがいた。しかし、別のメンバーの保護者からのクレームによって彼女はメンバーから外された。チアリーダーの「目的」は選手を応援することなので、彼女はメンバーとして素晴らしい。それなのにメンバーとして認められないのは障害者差別なのか。いや、彼女を認めない根拠は、チアリーディングの「美徳」は組体操や宙を舞うといった高度な身体技術にあるという認識ではないか。

ゴルフカートは認めない

プロゴルファーのケイシーマーティンは足に障害があり、ゴルフコースを歩けずカートを使う必要があった。ゴルフの腕前はすばらしくプロになることができたが、プロの規定ではカートの使用が認められず、この件が裁判で争われた。結果的にゴルフコースを歩くことによるエネルギー消費量はさほど大きくないことと、ゴルフというスポーツの本質が「少ない打数でボールをホールに入れる」というものであるという考えを採用し、カートの使用が認められた。 この結果に反対するプロゴルファーが居たが「全員にカートの使用を認めてくれ」という意見は出なかった。「ゴルフをプレーするには体力が要る」ことにスポーツ選手としての「名誉」を見出しているからなのだろうか。

中絶とES細胞

「中絶」も「ES細胞の再生医療への利用」も、反対派と賛成派の論争が絶えない。中絶肯定派は(リベタリアン、リベラル派)、「女性が自分の人生を選択する権利」を訴えている。しかしこの意見の前提には「胎児は命ではない」という信条がある。もし胎児を人の命と見なすなら「親は子供を殺してよい」ということになり、人間の生きる権利を尊重する彼らの思想に反するからだ。ES細胞についても同じことがいえる。「命がどこから始まるか」は科学や理論だけの力で線引きできる問題ではなく、道徳的or宗教的な議論を避けられない。中立にはなりえない。

同性結婚

同性婚を認める人々の意見は「差別の撤廃」「個人の自由」という視点から言われることが多い。しかし、「結婚という制度自体をなくしてしまう」という案についても考慮すると、結婚の目的、美徳、名誉といった道徳問題を避けられないことがわかる。結婚の美徳とはなにか。相互依存、交友関係、親密さ、貞操、家庭の理想…こういった視点で道徳的領域に入り込み議論することは避けられない。

ケネディーとオバマ

ジョンFケテディーとバラクオバマは、ともに若く雄弁ではつらつとしており、新しい指導者であるため、共通点を見出す人が多い。しかし政治と宗教の関係に関しては全く逆のスタンスをとっていた。

ケネディーはカトリック教徒であり、そのことに不安を感じる国民もいた。それに対し彼は「宗教は私的な事柄であり、政治において外部からの宗教的圧力や指図を顧みることはない」と宣言し、政治と宗教の関係をキッパリと否定した。

オバマも始めこのようなスタンスの演説をしていたが次第に限界を感じる。次第に宗教と政治議論の関係を肯定する持論を展開することになった。


個人的な気付き

この本を読んで、有名な哲学者たちの思想にたいする自分自身の見解が10代と30代で大きく変わったことに気付きました。

高校生の時に倫理の授業を選択していたので、アリストテレス、カント、ベンサム、ミルの思想はある程度知っていました。(ジョンロールズはあまり取り上げられていなかった) その中で私はカントの思想が特に高尚でかっこいいと感じました。自分の欲に左右されずに、常に正しい行動を選択することが本当の自由。そして自律。動機がもっとも重要で、我々は究極の人格だけを目標とする。

でも30才になってこの本を読み直したとき、アリストテレスの思想にグッときました。一番古いのに、一番現実的。物事には目的がある。目的を最大限に発揮させることが美徳である。正しさは中庸にある。(つまり、普通、適当、良い加減が正しい)善い人間になるには、善い心を持つだけではいけない。人に対して善い行いを習慣つけていくことが必要。都市国家の中で生活し、市民が集まって議論を交わしていくことで善い人間を育成する社会が生まれる。

おそらく、高校生の時は衣食住に困ることなく、社会経験を積むことなく概念の世界に没頭できていたのだと思います。その状況でカントのストイックで完全無的に見える思想を素晴らしく感じた。でも大人になって色々な人と接し、自分自身と何度も向き合い、より現実的で人間的な考えになったと思う。

「他人からよく思われたい」「自分が良い人間だと思いたい」という欲望は否定できないし、その前にまともな睡眠と食事がとりたい。あと恋人やパートナーも欲しい。たくさん知識があるだけで実際に役に立てない。時間と回数を重ねて仕事ができるようになっていく。大抵の物事は白黒つけられない。どっちつかずでバランスを取るのがちょうどよい。仕事で道具を使っていると、その道具の特性を理解して、それを発揮できるような技術を身に着ける大切さを感じる。

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